top of page
検索

一切のものごとの短所を発見する

  • sapporobukkyoujuku
  • 5月6日
  • 読了時間: 1分

一切のものごとの短所を発見する

 ありのままの現象を観察する修行者には、いとも簡単にすべての現象の短所が観えます。短所という言葉を使ったからといって、滅する現象に長所があるわけではありません。ただ怖畏だけ感じても、智慧は足りません。なぜ怖畏なのかと、明確に知った方がよいのです。言葉にすべき理由などはありませんが、現象はなぜ怖畏なのか、明確に発見します。「こういうわけで現象は怖畏です」というような発見が起きます。観察するどんな現象についても、この智慧が当てはまります。俗世間の言葉に入れ替えるならば、一切のものごとの短所を発見することに成功したのです。この智慧は過患智です。

 この智慧も、心にさらに強いインパクトを与えます。現象は「ただなんとなく怖畏」ではないのです。怖畏は現実です。一切の現象は確実に怖畏のみを与える特色を持っているのだと発見すると、インパクトはさらに強くなります。執着は成り立たないということ、執着するとはあまりにも愚かな行為であることを、さらに強く発見します。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p145】

 
 
 

最新記事

すべて表示
自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる

自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる  それから、今現在の心を観察します。何を発見して心が涅槃に入ってしまったのか、観察します。すると、自我は存在しない、成り立たない、因縁によって一時的に起こる現象に対しての勘違いに過ぎない、という発見の次に、涅槃を経験したのだと分かるのです。要するに、「有身見」が消えたのです。修行者は、仏道が正しい道であると経験しています。ですから「疑」も

 
 
 
涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する

涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する  テキストでは、magga 道、phala 果、nibbāna 涅槃、根絶した煩悩、残りの煩悩を観察するのだと説明しています。この順番で観察する必要がある、というわけではありません。修行者は自分が気になる順番で観察すると思います。悟りの経験は並外れた大胆な経験です。そのときは、心さえも存在しなかったのです。修行者は、認識の流れが戻ったら、まずそれを観

 
 
 
強烈な集中力でほんの瞬間前に何が起きたのか観察する

強烈な集中力でほんの瞬間前に何が起きたのか観察する  果心が起きてから、心は有分心になります。それから普通の認識過程に戻ります。普通の認識過程といっても、五根から情報を得て混乱している心のレベルではありません。強烈な集中力で、観察能力がついている心です。その能力を活かして、観察します。ほんの瞬間前に何が起きたのか、観察するのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サ

 
 
 

コメント


bottom of page