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一切のものごとの短所を発見する

  • sapporobukkyoujuku
  • 5月6日
  • 読了時間: 1分

一切のものごとの短所を発見する

 ありのままの現象を観察する修行者には、いとも簡単にすべての現象の短所が観えます。短所という言葉を使ったからといって、滅する現象に長所があるわけではありません。ただ怖畏だけ感じても、智慧は足りません。なぜ怖畏なのかと、明確に知った方がよいのです。言葉にすべき理由などはありませんが、現象はなぜ怖畏なのか、明確に発見します。「こういうわけで現象は怖畏です」というような発見が起きます。観察するどんな現象についても、この智慧が当てはまります。俗世間の言葉に入れ替えるならば、一切のものごとの短所を発見することに成功したのです。この智慧は過患智です。

 この智慧も、心にさらに強いインパクトを与えます。現象は「ただなんとなく怖畏」ではないのです。怖畏は現実です。一切の現象は確実に怖畏のみを与える特色を持っているのだと発見すると、インパクトはさらに強くなります。執着は成り立たないということ、執着するとはあまりにも愚かな行為であることを、さらに強く発見します。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p145】

 
 
 

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