top of page
検索

dhamma のrasa(はたらき)を発見してみる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年12月30日
  • 読了時間: 2分

dhamma のrasa(はたらき)を発見してみる ヴィパッサナー実践をする修行者は、現象が担うはたらきを観察します。はたらきがあるからこそ、世俗的に現象があると言えるのだと発見します。しかし世の中にあるすべての現象のはたらきを調べることは不可能です。これも科学的におこなわなくてはいけません。アビダンマでは、すべての現象を八十一のdhamma に分類しています。世俗的に見れば、無数の現象と無数のはたらきがあるかもしれませんが、真理の立場から観れば八十一個のdhamma があるのです。要するに八十一種類のはたらきがあるということです。Dhamma にあるはたらきを、rasa と言います。修行者はいずれかのdhamma のrasa(はたらき)を発見してみるのです。 例えば、lobha という心所があります。Nāma の一部です。何のはたらきを指してlobha と言うのでしょうか。怒り・嫉妬などの心所があります。何のはたらきを指して怒りや嫉妬と言うのでしょうか。膨らみ、という現象があります。物質の何のはたらきを指して、膨らみと言うのでしょうか。このように、はたらきを発見しなくてはいけないのです。すべてのdhamma のはたらきを発見する必要はありません。自分の能力に応じたいずれかのdhamma のはたらきを発見するのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p87】

 
 
 

最新記事

すべて表示
疑とは何?

疑とは何?  ヴィパッサナー瞑想の悟りの智慧の四番目は、kaṅkhāvitaraṇa 度疑清浄です。  ここでは一行で説明していますね。「その名色の縁の把握を度疑清浄という」。それしか説明していません。Kaṅkhā は疑い、vitaraṇa は渡る、という意味です。つまり、疑で悩んでいる状態を越えることです。これもヴィパッサナー実践により修行者が得る智慧の一つです。疑というといろいろです。  誰で

 
 
 
智慧が現れる過程を七つに分ける

智慧が現れる過程を七つに分ける 当然、ヴィパッサナー実践も日常でおこなうものではないので、修行中、変わった経験が起こり得ます。しかし修行者は、それに執着もしない。解釈もしない。そのまま確認して放っておきます。そして、智慧が現れることを期待します。脳の捏造機能を破るために精進するのです。智慧が現れると、先入観が一切なくなると、ありのままの事実が観えるのだ、というスタンスです。 ありのままの事実とは、

 
 
 
神秘体験を得ることは目的でない

神秘体験を得ることは目的でない 例えば瞑想中、普通とまったく違った光を体験したとします。脳に起きた現象なので、否定する必要はありません。しかし「したがって、人の魂はまぶしく輝く光である」という哲学は駄目です。そのように言うための証拠はありません。長部経典の第一『Brahmajālasuttanta 梵網経』では、このポイントが明確に語られています。瞑想中、何を経験するか、分かったものではないのです

 
 
 

コメント


bottom of page