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rūpa とは自分の肉体

  • sapporobukkyoujuku
  • 1月9日
  • 読了時間: 1分

rūpa とは自分の肉体 Rūpa とは自分の肉体のことです。肉体は五蘊の色蘊として観察することも可能です。地水火風という四大色を観察してもよいです。修行者に、身体が硬い、重い、という感覚が生まれます。そのとき、その硬さ、重さを観察します。これは「地」という色です。地に集中してみると、前に説明した七つの側面からいくつかの側面を当てはめることができるようになります。時には身体が全体的に液状になったような気がします。または身体の中に流れているさまざまな液体が気になってしまいます。これは「水」という色です。身体という物体が、揺らいだり、動いたりする感覚に気づいたら、「風」という色になります。身体の熱に集中すると、「火」という色です。決まりはなく、自分の心が勝手に発見する現象に気づくのです。無理にnāma を発見しようとはしません。そうすると捏造機能がはたらき出して、正しい修行経験にならないからです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p92】

 
 
 

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