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「受・心・法の随観」のあらまし

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月24日
  • 読了時間: 1分

Vedanāsu vedanānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā, vineyya loke abhijjhādomanassam,もろもろの受において受を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念を そなえ、世界における食欲と憂いを除いて住みます。 二番目は vedanāsu 感覚において、vedanānupassi 感覚に沿って、感覚のままに観察します。Vedanāとは身体の感覚です。身体の感覚について、また気づきの修行をすることです。その場合も感覚のままに、というのが肝心です。人は普通、感覚に楽しい、欲しい、嫌、苦しい、などの価値を入れるのです。自分が勝手に入れた価値を重視しますが、肝心な感覚を無視するのです。ですから、善し悪しなどの価値を入れないで、「感覚とは何だ」と感覚について妄想したりもしないで、感覚のままに観察していく。その場合も sampajāna正知は必要ですし、abhijjhā- domanassa 貪欲と憂いも当然、なくなるようにしなくてはいけないのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016、p.48】

 
 
 

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