「受・心・法の随観」のあらまし
「受・心・法の随観」のあらまし
Vedanāsu vedanānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā, vineyya loke abhijjhādomanassaṃ, citte cittānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā vineyya loke abhijjhādomanassaṃ, dhammesu dhammānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā vineyya loke abhijjhādomanassaṃ
もろもろの受において受を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。心において心を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。もろもろの法において法を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。
二番目はvedanāsu 感覚において、vedanānupassī 感覚に沿って、感覚のままに観察します。Vedanā とは身体の感覚です。身体の感覚について、また気づきの修行をすることです。その場合も感覚のままに、というのが肝心です。
人は普通、感覚に楽しい、欲しい、嫌、苦しい、などの価値を入れるのです。自分が勝手に入れた価値を重視しますが、肝心な感覚を無視するのです。ですから、善し悪しなどの価値を入れないで、「感覚とは何だ」と感覚について妄想したりもしないで、感覚のままに観察していく。その場合もsampajāna 正知は必要ですし、abhijjhādomanassa 貪欲と憂いも当然、なくなるようにしなくてはいけないのです。
三番目はcitte 心において、cittānupassī 心のままに観察していくのです。
四番目はdhammesu 法において、dhammānupassī 法のままに観察します。Dhamma 法とは何かと、ここで説明しなければいけないのですが、説明を控えたほうが良いと思います。Dhamma というのはパーリ語で、もっとも広い意味に使う単語なのです。文脈に合わせて訳さなくてはいけないのです。ブッダの教え、真理、世の常、法律、正しい、法則、現象、などなどの意味があります。大念処経におけるdhamma の意味は、法随観のセクションで説明があります。ここでは、kāya 身とvedanā 受とcitta 心を除いた、他の諸々のことだと仮に理解しておきましょう。
アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016 p48
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