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正知 sampajāno

sapporobukkyoujuku
4 日前
読了時間: 2分

正知 sampajāno

 Sampajāno の意味は「正知をそなえ」です。その訳では理解できないでしょう。この単語を英訳するとawareness, presence of knowledge になります。しかし複雑に考える必要はないのです。いま何が起こっているのかと、知っていることです。


 私たちは日常、ご飯を食べているとき、テレビを観ているのです。またテレビを観ながら料理をつくっているのです。イヤーフォンを耳に差して音楽を聞きながらジョギングするのです。ご飯を食べているか、テレビを見ているか、よく分からなくなります。食べ終わったのに、どれくらい食べたか、何を食べたか、どんな味だったかよく分からないし、その間に見ていた番組の中身も分からない。あれもこれも同時にやろうとするのは、心に落ち着きがないからです。


 たくさんのことを同時にやろうとすると、一つもまともにやったことにはならないのです。全て中途半端なのです。ものごとの理解能力がなくなるのです。何も理解せず、何も発見できず、充分に生きてきました、という実感はなく、人は老いて死ぬのです。


 お釈迦様はsampajāno という一語で、一般人の生き方と全く違う生き方を提案しているのです。いまの瞬間で何が起きているのかとよく知っておくこと、頭を過去や将来に走らせないこと、妄想や雑念にふけってはいけないことを推薦しているのです。その生き方が、「正知をそなえ」という意味なのです。

アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016 p45

 
 
 

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