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「好き」を独り立ちさせてはいけない

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月5日
  • 読了時間: 1分

「好き」を独り立ちさせてはいけない

「好き」はくせものです。欲に変身しやすいのです。執着に変身しやすいのです。このステージの修行者に、欲という不善心所は起こりません。しかし執着という煩悩は起こり得ます。修行そのものを好むことに対しても、気をつけなくてはいけません。「好き」を独り立ちさせてはいけないのです。

 何かを好きになると、それをやりやすくなります。勉強が好きな人は軽々と勉強します。嫌いよりは好きな方が役に立ちます。しかし「好き」という現象も一つの心所であり、感情でもあります。それは無常・苦・無我です。このように観察して、この障碍から脱出するのです。また、ヴィパッサナー実践以外、他のことにまったく興味がないという状況は、表面的にはとても良いことであると理解してしまいます。それは興味が正しい方向へ変わっただけのことであって、解脱ではありません。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p132】

 
 
 

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