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「心を汚してはならない」という一項目

  • sapporobukkyoujuku
  • 11月14日
  • 読了時間: 2分

「心を汚してはならない」という一項目 他宗教でも項目戒律があります。厳密に戒律項目の数を決めることは不可能であるにもかかわらず、十戒などの戒律を断言するのは問題です。しかし、宗教家たちは自分勝手に、時代の要求に応じて規則を作ります。それに反対する人々も現れます。そして宗教組織としての調和が乱れて、分派してしまいます。 社会も戒律項目を決めています。どんな社会であっても、その社会において「あってはいけないこと」があります。政府も法律という戒律項目を決めます。また、各家族にも、家族の決まりというものがあるようです。学校には校則があり、会社には社則があります。守らなければ、社会の一員としての自分の地位が危ういものになります。このような規則は、社会の秩序と繁栄を目指して定められるものです。これらの規則の数も、無数です。憶えるのは大変です。実際には誰も憶えていません。しかし皆、法律と規則を守って、なんとか無事に生きています。 日本の社会では、無数にある規則を「他人に迷惑をかけてはならない」という一項目に見事にまとめています。同様に、仏教の場合は、「心を汚してはならない」という一項目にまとめています。現代的に言い換えます。「心の煩悩をかきたててはならない」。この一項目に尽きます。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p64】

 
 
 

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