「疑」と呼ぶ煩悩を越える
- sapporobukkyoujuku
- 1月26日
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「疑」と呼ぶ煩悩を越える
では、ヴィパッサナー実践者が越える疑とは何でしょうか? 仏教を理解して実践に励んでいますから、修行者には精神病的な疑はありません。曖昧・中途半端な性格で、無知から生まれる疑もありません。また、真理を自ら確かめたいという理性的な疑を捨てたら、困ります。修行者が乗り越える疑は、不善心所の一つである疑心所です。一般的に言えば、「疑」と呼ぶ煩悩を越える、ということになります。この説明では、「なくす」ではなく、あえて「越える」という言葉を使っています。この智慧の段階では、疑という煩悩がなくなるのではありません。機能停止するのです。
【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p99】
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