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「自分」はあると思うのは見diṭṭhi

  • sapporobukkyoujuku
  • 1月15日
  • 読了時間: 1分

「自分」はあると思うのは見diṭṭhi もし人に「自分・自我」という何かが存在するならば、人の人生は曖昧で、中途半端で、いい加減で、感情の波に揺らいで、読み取れない状態にあることが普通になります。どうすることもできません。しかし「自分」は存在するのかしないのかを調べたことはないのです。あると思っています。それは仏教用語で「見解・見diṭṭhi」と言います。見という字を使っていますが、その実は邪見です。ヴィパッサナー実践では、ありのままに現象を観察することで、この問題を解決します。自分・自我を探すという固定概念を使いません。ただ、その都度、起こる現象をそのまま観察していきます。やがて「自分」という存在を構成しているnāma とrūpa という二種類のエネルギーの流れを発見するに至ります。それが普遍的な真理であると、さらに発見するのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p94】

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p94】

 
 
 

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