top of page
検索

ありのままに観察する

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月27日
  • 読了時間: 1分

人が「私は西洋人が好きです。アジア人が嫌いです」と言ったとしましょう。それはその人の主観で、好き嫌いで、偏見なのです。西洋人が良い人間で、アジア人が悪人だということにはならないのです。このような態度を取ると、西洋人はどんな人間か分からなくなりますし、アジア人もどんな人間か分からなくなるだけです。主観的な気づきはこのようなもので、修行して真理を発見する世界とは、天と地の差なのです。正しい気づきとは、一切の主観、偏見、先入観、思考、妄想、好き嫌い、感情などをカットして、客観的にありのままに観察することです。仏教が推薦する気づきは、決してたやすいものではありません。真剣まじめな修行の一種です。諸々の修行方法のなかでも、難しいものだと思っても構わないのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016、p.50】

 
 
 

最新記事

すべて表示
確固たる真理を確認する

確固たる真理を確認する そこで、彼が確実に確認するのです。何をでしょうか? atthi kāyo 世のなかにあるのはこのような身体、このいままで観察したような状態の身体なのだ、と。確実に確固たる真理はそういうことだ、と確認するのです。その確認したことは変化しないのです。身体...

 
 
 
身体のために大騒ぎしない

身体のために大騒ぎしない Iti ajjhattaṃ vā kāye kāyānupassī viharati bahiddhā vā kāye kāyānupassī viharati, ajjhattabahiddhā vā kāye kāyānupassī...

 
 
 
死体を観察する瞑想

身の随観の六番目は、死体を観察する瞑想になります。身の随観の解説は、この項目で完結します。 ここからは9種類の死体を観察して瞑想します。一番目は、捨てられた直後の死体を観察します。 死体が墓場に捨てられているのが 見つかるでしょう。その死体は 死んで一日経っているか、...

 
 
 

Commentaires


bottom of page