top of page
検索

確固たる真理を確認する

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年7月13日
  • 読了時間: 2分

確固たる真理を確認する そこで、彼が確実に確認するのです。何をでしょうか? atthi kāyo 世のなかにあるのはこのような身体、このいままで観察したような状態の身体なのだ、と。確実に確固たる真理はそういうことだ、と確認するのです。その確認したことは変化しないのです。身体とはこのようなものである、という理解が生まれて来ます。それは、yāvadeva ñāṇamattāya この適度の智慧に繋がっていく。patissatimattāya 適度の気づきに繋がっていく。いわゆるsati が入った(確立した)状態になるのです。 どんな身体でも、いま自分が観察している身体と同じ状態になる。身体は色々なものからできていて、また毎日壊れて欠けていく。最終的に死んでしまったらこのように腐ってしまう。ただそれだけ。食べ物のことやら、職業のことやら、経済的なことやら、おしゃれのことやら、私たちが世間で繰り広げる大騒ぎは、結局、「身体」を維持するためのものに過ぎないのです。身体の観察をする人は、「そんなことで騒ぐ必要があるものか」と落ち着いて生きられます。Anissito ca viharati この人は世のなかに対してあれをやりたい、これが欲しい、といって困ったり悩んだり、混乱したりすることは何もなくなってしまう。全て無意味ということが分かって、すごく落ち着くのです。na ca kiñci loke upādiyati 何ものにもとらわれることがない。Evampi kho bhikkhave bhikkhu kāye kāyānupassī viharati そのように、身体の瞑想でそれぐらいのことは得られるのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p112】

 
 
 

最新記事

すべて表示
自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる

自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる  それから、今現在の心を観察します。何を発見して心が涅槃に入ってしまったのか、観察します。すると、自我は存在しない、成り立たない、因縁によって一時的に起こる現象に対しての勘違いに過ぎない、という発見の次に、涅槃を経験したのだと分かるのです。要するに、「有身見」が消えたのです。修行者は、仏道が正しい道であると経験しています。ですから「疑」も

 
 
 
涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する

涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する  テキストでは、magga 道、phala 果、nibbāna 涅槃、根絶した煩悩、残りの煩悩を観察するのだと説明しています。この順番で観察する必要がある、というわけではありません。修行者は自分が気になる順番で観察すると思います。悟りの経験は並外れた大胆な経験です。そのときは、心さえも存在しなかったのです。修行者は、認識の流れが戻ったら、まずそれを観

 
 
 
強烈な集中力でほんの瞬間前に何が起きたのか観察する

強烈な集中力でほんの瞬間前に何が起きたのか観察する  果心が起きてから、心は有分心になります。それから普通の認識過程に戻ります。普通の認識過程といっても、五根から情報を得て混乱している心のレベルではありません。強烈な集中力で、観察能力がついている心です。その能力を活かして、観察します。ほんの瞬間前に何が起きたのか、観察するのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サ

 
 
 

コメント


bottom of page