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死体を観察する瞑想

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年7月11日
  • 読了時間: 2分

身の随観の六番目は、死体を観察する瞑想になります。身の随観の解説は、この項目で完結します。 ここからは9種類の死体を観察して瞑想します。一番目は、捨てられた直後の死体を観察します。 死体が墓場に捨てられているのが 見つかるでしょう。その死体は 死んで一日経っているか、 二日経っているか、 三日経っているか。死んで数日経った死体が墓場に捨てられているのが見つかります。 その死体の状態は 膨張していて、 青黒くなっている。 醜くなっているのです。これは膿でただれた死体です。亡くなって日数が経ってくると、そういう遺体の状態でかなり膨らんで、それから青黒くなってしまって、あちら、こちらでほんのちょっとはれたりとか、鼻とか目とかそういうところからかなり膿が出ていたりする。 そういう死体を観て、それから自分の身体に当てはめて観る。 この身体のみに集中して観察します。ここで身体が二つあります。遺体と、自分の身体です。身体という現象に集中して観るのです。 一つの身体が朽ちて醜い状態になっているのです。決して執着の対象にはならないのです。それから、この自分の身体も このような性質だと、 このような状態になってしまうのだ、と確認するのです。 自分の身体は このようにならない、ということはありません、必ずこのようになります、と確認します。これは死体の状態を自分の肉体に当てはめて観る修行です。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p110】

 
 
 

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