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いい加減でも突然でも原因なしでもない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2月13日
  • 読了時間: 1分

いい加減でも突然でも原因なしでもない

 指導する人々は、「直接原因と直接結果を確認するように」と、アドヴァイスしています。これを実践すると、何を発見するのでしょうか。すべての現象は、瞬間で消える無常なるものですが、現象はいい加減に無作為的に起こるのではありません。突然起こるものでもありません。原因なしに起こるものでもありません。決まったパターンがあって、変化していくのです。この決まったパターンとは、公式的にいうと因縁法則なのです。身体の変化、感覚の変化、心の変化、感情(煩悩)の変化も、同じパターンでラベリングします。今まで捏造ばかりして生きてきた、幻覚的な世界が壊れていきます。「A が起きたら次はB に決まっているのだ」という因縁法則を、さまざまな現象に当てはめて発見します。これがアビダンマ・テキストに出てくる「名色の縁(因縁)を把握すること」です。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p107】

 
 
 

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