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お粥とおにぎり

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年12月29日
  • 読了時間: 1分

お粥とおにぎり 無数のはたらきがあって、世は成り立っています。そして、一つのはたらきが別のはたらきと一緒になって機能する場合が多いです。プラスティックの筒は一つのはたらき。インクが入っている筒は別なはたらき。ペン先のベアリングは別なはたらき。キャップは別なはたらき。それぞれのはたらきを合わせたところで、「ボールペン」という現象が見えてきます。 仏教は「ものは存在する」という実体論は正しくないとします。実体はないのです。はたらきがあるのです。ものごとのはたらきを発見すると、実体論が間違っていると理解できます。ものごとに名前を付ける場合は、はたらきを考慮するのです。お粥とおにぎりと言えば、中身は同じですが、別々な現象です。それぞれのはたらきが違います。お粥だと勘違いしておにぎりを食べたり、おにぎりだと勘違いしてお粥を食べたりはしません。このようにして、違うはたらきをするから違うものが存在するのだ、という認識が生まれます。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p87】

 
 
 

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