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ただ「痛み」と確認すると心にupekkhā が生じる

  • sapporobukkyoujuku
  • 2月16日
  • 読了時間: 1分

ただ「痛み」と確認すると心にupekkhā が生じる

 では修行が進んで、肉体にあるのはほとんど痛みの感覚だと分かったとしましょう。痛みに腹をたてるのはバカらしいと分かったとしましょう。痛みがあるからこそ、皆、必死で生きようと(痛みを避けることが生きることなのです)しているのだと分かったとしましょう。痛みであろうが何であろうが、瞬間的な出来事であると分かったとしましょう。たくさんの因縁の流れが、今度は変わったのです。そこで痛みが生じます。ただ、「痛み」と確認します。心を観ます。このときは「嫌」という気持ちが起きていません。心に「そんなのは当たり前だ」という気持ち、要するにupekkhā が生じているのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p108】

 
 
 

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