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どの元素を選ぶのか

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年7月10日
  • 読了時間: 1分

どの元素を選ぶのか 一人の修行者がその四つの瞑想ともやらなくてはいけない、という決まりもありません。自分に分かりやすい元素を選ぶのも構わない。その都度その都度、気づく元素を確認しても構わないのです。人の性格によって、簡単に発見できる元素が変わる可能性もあります。地の元素を簡単に発見する人も、火の元素を簡単に発見する人もいるのです。 修行する自分は、何を発見しやすい性格かと分からないので、気にする必要はありません。その都度、気になる元素を確認することです。 このように、全てのものごとは地・水・火・風で構成されているものだと発見します。そこには「私がいる、あなたがいる、人々がいる」という世界は成り立ちません。生命がいる、ではなく、地水火風というはたらきのみがある、という発見になります。お釈迦様はこの発見を「Atthi kāyo’ti vā panassa sati paccupaṭṭhitā 身体というのはこれぐらいのものだ、と気づきを確立するのです」とフレーズで表現しています。その発見によって、心が執着から解放されるのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p109】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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