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まずはrūpa の変化(流れ)に集中

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年12月23日
  • 読了時間: 1分

まずはrūpa の変化(流れ)に集中 一つの例を出します。Nāma とrūpa の両方を観ることができるようになっています。しかし、両方同時に集中することはできません。まずはrūpa の変化(流れ)に集中してみます。次に、感覚の変化に集中してみます。次に、感覚と物質が一緒になって変化していくことに集中します。実況中継する言葉を探すのは大変だと思うところです。しかし実況を止めたら、実践は崩れてしまいます。今まで使ってきた言葉をそのまま使っても構いませんし、新たに頭に浮かんだ単語と入れ替えても構いません。言葉が行ったり来たりするのは構いません。「Nāma とrūpa」と確認したり、「感覚の流れ、物質の流れ」と確認したりします。それに飽きてきたら、もとの「膨らみ、縮み」などに戻ります。このように言葉は行ったり来たりします。しかし一貫して、新たに発見した智慧に基づいて観察をするべきです。このようなやり方で、見清浄がさらに強くなっていきます。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p83】

 
 
 

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