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ものごとに目覚める

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年4月27日
  • 読了時間: 1分

 これで四つの項目について気づくべきだと、説かれたのです。この四つの項目は、大念処経の骨格です。気づきがメインテーマです。一般人は何にも気づかないで生きている存在でしょうか。それはあり得ない話なのです。私たちも、色んなことに気づいて生きているのです。しかし、それがなぜ修行にならないのでしょうか。我々の気づきは、決まって偏見です。主観です。何にでも気づくのではなく、自分にとって興味のあるものにだけ気づくのです。料理に興味ある人は、料理の本を買って読んだり料理番組を見たりするのです。お笑いに興味ある人は、番組表を調べて、お笑い番組だけ予約録画ボタンを押しておくのです。また、気に入らないこと、都合が悪いことに、あえて気づかないようにと頑張るのです。自分の都合で、主観で、偏見で、世を観察しても真理の発見はできません。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016、p.49】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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