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よく気づくとは「脳細胞を全部使う」こと

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年5月31日
  • 読了時間: 1分

よく気づくとは「脳細胞を全部使う」こと  経典で教えられているように行なうためには、高度な集中力が必要になります。逆に言えば、実践しようとすると高度な集中力がそなわるのです。高度な集中力は智慧が起こるきっかけになります。正知の実践のために、休みなく頭をはたらかすことになるのです。同じ意味のことを私は「脳細胞を全部使ってください」と軽く説明しています。普通に使う集中力では足りません。我々は料理をつくるときも、仕事をするときも、他の何かをやっているときも、心は散漫になっています。集中力はないのです。ギューっと一箇所を見ようとはしません。散漫になった状態で生きているから、ストレスも溜まるし疲れてしまう。楽しくはないのです。強く集中して何かを行なうと、疲れません。行なっていることから喜びが湧いてきます。それから、何を行なっているのかとよく理解することもできるのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016.p80】

 
 
 

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