top of page
検索

ラベルを貼っても生じて滅する、nāma の流れであると知る

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月24日
  • 読了時間: 1分

ラベルを貼っても生じて滅する、nāma の流れであると知る

 これからの変化過程を普通の言葉に乗せて説明しますが、実際に修行する修行者の心の中の状況を言葉にしてそのまま説明することは不可能であると理解した方がよいです。

 修行者は確認作業を続けます。現象の変化の流れに沿って、確認しようとします。できなくなると、さらに集中力を上げて観ます。自分は自分好みの、また今までやっていたとおりの言葉を頭の中で念じているかもしれません。しかし現象の変化の速さに合わせようとすると、一つの特色が際立ってくるのです。それはいかなる現象であっても、生じて消えることです。たとえ「膨らみ」と言葉のラベルを貼っても、実際そちらにあるのは瞬間瞬間、生じて滅する膨らみの流れです。Rūpa を確認するとき、そうなります。

 「膨らみ」と言うためには、膨らみを感じなくてはならない。その感覚も瞬間瞬間、生じて滅する流れです。修行者はこの場合、「膨らみ」と言葉でラベルを貼っても、そこに実際起きているのは、瞬間瞬間、生じて滅する、nāma の流れであると知っているのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p140】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page