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ヴィパッサナー瞑想における呼吸の観方

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年5月12日
  • 読了時間: 1分

ヴィパッサナー瞑想における呼吸の観方 この経典で説いているのは、samādhi 瞑想ではなくて、vipassanā(ヴィパッサナー)瞑想の世界です。私は自分の意見として、普通の常識的な読みとして、「身体全体」でいいのではないかと思っています。ですから、「長く吸っています」と言ったら、長く吸っている、というエネルギーが身体全体に行きわたってしまう。それから「長く吐いています」と言ったら、長く吐いている、というエネルギーが身体全体から出て行くということです。結局エネルギーなのです。吸ったということはエネルギーだから、全体に行きわたるはずなのです。振動にしても、どこかに触ったらその振動がずぅっと先まで行くでしょう。それを感じられるくらい我々は敏感か、敏感でないかということなのです【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016、p.62】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

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広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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