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一切の現象の生滅を発見

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月4日
  • 読了時間: 1分

一切の現象の生滅を発見 一切の現象の生滅を発見すると苦しみを乗り越えて解脱に達するのだ、という話は、修行に入る前から、実践者は説法を聴いて、法を学んで知っているはずです。それは知識です。経験ではありません。ヴィパッサナー実践の順番を踏まないで、最初から生滅を観てやろうではないかと思われる人々もいることでしょう。思っても構わないのですが、無理をする必要はありません。無理をすれば、錯覚に陥る恐れがあります。生滅を経験するためには、思惟智が必要なのです。 この智慧に達する場合は、気をつけなくてはいけないポイントもあります。何から何まで、現れては消えることばかり観えると、落ち着きがなくなったような気がします。居ても立ってもいられなくなる状態になります。これは、まだ解脱に達していないので当然なことです。気にする必要はありません。気にしてしまって修行を中断したら、もったいないことになります。大変損をしたことになります。ですから、落ち着かなかったり、居ても立ってもいられなくなったりした場合は、瞑想指導者に励ましてもらった方がよいです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p41】

 
 
 

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見解を破る

見解を破る 解脱の境地に達する修行者は、捏造機能を止めるのです。自然に捏造してしまう習慣がなくなった状態は悟りであると、釈尊は説かれます。 修行を始めた私たちに、いきなり捏造機能をストップすることはできません。それには長い修行が必要です。順番に進めばよいのです。最初は見解を破るところからです。すべての見解がいい加減な幻覚であると発見するのです。目覚めてみるのです。 我々の心は、どれほどの見解・信仰

 
 
 
なぜ見解が悪いのか

なぜ見解が悪いのか 概念は、都合により自然に起こる捏造です。存在欲があるから、生きていきたいから、データを捏造するのです。炊いた米を「おいしいご飯だ」と捏造すると、欲が生まれる。ネズミの死骸を「不潔で気持ち悪い」と捏造すると、怒りが生まれる。牧草を「ただの草ではないか」と捏造して無関心な態度をとると、無知が生じる。このような概念を掻き回すと、貪瞋痴がなおさら強くなります。見解という幻覚になるのです

 
 
 
見解は捏造した概念の組み合わせ

見解は捏造した概念の組み合わせ 見解とは具体的にはどういうものでしょうか? 「私がいる」「私に魂がある」「世界は神が創造したものである」「全知全能の神がいる」「死後永遠の命がある」などです。宗教と哲学は組織化された見解なのです。すべての迷信も、極めて厄介な見解です。人間のあいだで一体どれくらい見解があるのか、知るすべもありません。古い見解を受け継いだりもしますし、他人の見解を学んで受け取ったりもし

 
 
 

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