top of page
検索

三相のいずれを選ぶのか

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年9月15日
  • 読了時間: 1分

三相のいずれを選ぶのか 無常・苦・無我という三相の真理について、「では、三つのうち、私の場合、どれを観察対象にしようか」などと自分で選ぶ必要はありません。『念処経』で説かれているように、生きることに気づけば充分です。釈尊が説かれたように、先入観・固定概念・主観を捨てて観察すると、自分の性格に合わせて、無常を発見するか、苦を発見するか、無我を発見するか、いずれかになります。「三相を発見してやるぞ」と思って観察すると、それが先入観になってうまくいかない可能性があります。観察すればするほど、無常・苦・無我であると分かりますが、心の汚れが落ちない恐れがあります。真理を思考・知識で知ったことになりかねません。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p30】

 
 
 

最新記事

すべて表示
現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません

現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません  ここはとても難しいポイントです。智慧は本物です。観察する三相も現象の本物の姿です。ありのままの姿です。修行者も指導者も、疑問に思う必要はまったくありません。では、なぜ障碍になるのでしょうか。修行者が自分の経験を「これは解脱ではないのか」と解釈したからです。これは、ヴィパッサナー実践する誰もが陥りやすい落とし穴です。  修行者はこの落と

 
 
 
観察の汚れ:② 智慧ñāṇa

観察の汚れ:② 智慧ñāṇa  言葉がないので、ñāṇa を智慧と訳しました。仏教用語としての智慧はpaññā です。そのpaññā ではないと言うために、障碍になる智慧についてパーリ語でñāṇa という言葉を使っているのです。  ここで言うñāṇa とは、ヴィパッサナーの智慧のことです。強烈なスピードで無常・苦・無我が観えるのです。どんな現象を観察しても、その現象は無常・苦・無我に分解されて観え

 
 
 
観察の汚れ:① 光obhāsa

観察の汚れ:① 光obhāsa  Obhāsa とは光のことです。瞑想中、頭の中にじわじわと光が現れてきます。まぶしくなるほど明るくなる場合もあります。光とは目を開ければ見えるものですが、この光は目を閉じていても見えます。座る瞑想を止めて歩く瞑想などをするときも、この光がどこにでも現れるようになります。当然、そうでない場合もあります。どの程度の光かということは個人差があると思います。目で光を見るの

 
 
 

コメント


bottom of page