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三相の特性を観察すると、saddhāと同じくadhimokkhaも起こり続ける

  • sapporobukkyoujuku
  • 3月27日
  • 読了時間: 1分

三相の特性を観察すると、saddhāと同じくadhimokkhaも起こり続ける

 釈尊の教えこそが断言的に真理であるという確信に達したら、修行者はこのように解釈します。「預流果とは信を確定した人のことである。お釈迦様は預流果に達した人の特色として仏法僧に対する決して揺らがないsaddhā があることだと説かれています。今まさに自分はその状態に達しています。ということは、預流果の解脱に達しています」。このように思うことは、解釈であって推測が入っています。実際は解脱に達してないので、修行に対する障碍です。「揺るぎない確信がある。それこそが解脱である」とは、どこにも説かれていません。このように観察すると、この障碍から立ち上がれます。

 ここで、心の中で何が起きているのでしょうか? Saddhā とadhimokkha が離れないようにくっついてしまったのです。Adhimokkha は認識するたびに、その都度の対象によって変わらなくてはいけないものです。三相の特性を観察すると、saddhā が起こります。そればかりを観察するので、同じくadhimokkha も起こり続けるのです。問題をつくったのはadhimokkha という心所でした。ですから、六番目の障碍の名前はadhimokkha にしているのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p127】

 
 
 

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