三相:③ 無我相anatta-lakkhaṇa
- sapporobukkyoujuku
- 9月14日
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三相:③ 無我相anatta-lakkhaṇa
お釈迦様は、皆と違ったアプローチをされました。当時でも、修行する人々は、誰でもまずは「魂がある」と信じなくてはいけなかったのですが、お釈迦様はそれをやめたのです。まずは「魂がある」という前提が成り立つのか、正しいのかと調べたのです。そして因果法則を発見されました。「ものがある」という言葉も、「ものがない」という言葉も、極論です。成り立たないのです。ものごとは「これがあるから、これがある。これが起こると、これも起こる。これがないときは、これもない」というように、因縁によって成り立ちます。現象には、魂も核も芯も種もないのです。
すべては無常ですから、変化しないものは何もあるはずがないのです。しかし瞑想実践として、いきなり無我の観察が皆にできるとは思いません。無我の観察は、「なぜ、どのように?」という問いに興味を抱く性格の人々に適しています。「なぜ、どのように?」という問いを抱きながら、客観的に現象を観察すると、かならず「無我」という真理を発見します。自分の命と同様に、一切の現象はうたかたのような存在と知るならば、心から執着が消えるのです。智慧が現れて、解脱に達します。無我とは、「変わらぬ実体が成り立たない」という意味です。
【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p27】
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