top of page
検索

新たな現象を観察する

  • sapporobukkyoujuku
  • 5月26日
  • 読了時間: 1分

新たな現象を観察する 次のレッスンがあります。それは各威儀がどのように起こるのかと観察することです。坐っている人が立つと思いましょう。完全に立つまでは、坐った姿から様々な変化が起き続けます。完全に立ってから、その姿勢を変化しながら続けるのです。次から次へと生じ続ける、新たな現象を観察するのです。それがsamudayadhammānupassī の意味です。新たに現れる現象は、比較的発見しやすいのです。それができたところで、消えていく現象も観察するのです。坐っている人が立とうとすると、様々な現象が消えて、新たな現象が生まれる、という過程です。そこでどんな現象が消えていくのかと気づいてみるのです、完全に立っているときでも、一つの現象が消えて新たな現象が起こっています。だからこそ、立ち続けることができるのです。消えていく現象に気づく実践は、vayadhammānupassī と言います。次に、消える現象と、新たに現れる現象を併せて、観察するのです。これはsamudayavayadhammānupassī と言います。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016.p76】

 
 
 

最新記事

すべて表示
nāma とrūpa を区別して発見する

nāma とrūpa を区別して発見する それから客観的に確認作業を実行してみるようになります。そうなると、手を上げます、下げます、と実況するのであって、それは「私の手」という気持ちから離れています。ただ「手」という客観的な物体として観るのです。座る瞑想もこの調子でおこないます。集中力があり、客観的に確認しますから、より詳しく現象を観ることができるようになります。 手・足・お腹などは純粋な物体です

 
 
 
「私」という気持ちを措いて、客観的に身体を観察する

「私」という気持ちを措いて、客観的に身体を観察する 集中力が上がって自然に実況中継が流れるところまでくると、修行者が確認する現象も変わっていきます。本当は「現象が変わる」という言葉は、正しくはありません。今まで気づくことができなかった現象にまで気づけるように成長した、ということです。どのように現象が変わるのか、次で説明していきます。 初心者の修行には、「私」という気持ちがこびりついています。手を上

 
 
 
自然に集中することができるようになる

自然に集中することができるようになるここで知りたいのは、どんな智慧が現れるのか、ということです。これからそれを、修行者たちが体験するさまざまな現象の流れに基づいて説明します。 初心者の修行は苦労しながら混乱したままで続きます。足を上げる、運ぶ、下ろす、などを実況すると、何のためにこれをやっているのか、という疑問も生じます。もっと面白いものがないのかと、心が他の対象に走り回ったりもします。しかし負け

 
 
 

コメント


bottom of page