top of page
検索

不浄の観察の仕方

  • sapporobukkyoujuku
  • 6月21日
  • 読了時間: 1分

 不浄の観察の仕方は、それで終わります。次に、他の身を観察する瞑想も、同じやり方で瞑想を続けるのです。内の身体を観察する(自分の身体)、外の身体を観察する(他人の身体)、自分と他人という区別なく一般的な立場で身体を観察する。それから、身体が生起すること、消えていくことを観察する。生じて滅するプロセスを観察する。それで身体に対してサティ・気づきが生じてくるのです。 この場合、身体というのは三十一種類の不浄です。肉体というものは一切、三十一の不浄でできているのだ、という気づきに達したら、当然、その修行者はこの世で何ものにも執着しない気持ちに達するのです。 繰り返し書きますが、ヴィパッサナー瞑想の観察は三つのステップで行なうものです。一、自分。二、他人。三、自分と他人を含む全て。ですから、私の身体が不浄でもなく、この他人の身体が不浄でもなく、身体たるものが不浄である、という理解に達することです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p94】

 
 
 

最新記事

すべて表示
nāma とrūpa を区別して発見する

nāma とrūpa を区別して発見する それから客観的に確認作業を実行してみるようになります。そうなると、手を上げます、下げます、と実況するのであって、それは「私の手」という気持ちから離れています。ただ「手」という客観的な物体として観るのです。座る瞑想もこの調子でおこないます。集中力があり、客観的に確認しますから、より詳しく現象を観ることができるようになります。 手・足・お腹などは純粋な物体です

 
 
 
「私」という気持ちを措いて、客観的に身体を観察する

「私」という気持ちを措いて、客観的に身体を観察する 集中力が上がって自然に実況中継が流れるところまでくると、修行者が確認する現象も変わっていきます。本当は「現象が変わる」という言葉は、正しくはありません。今まで気づくことができなかった現象にまで気づけるように成長した、ということです。どのように現象が変わるのか、次で説明していきます。 初心者の修行には、「私」という気持ちがこびりついています。手を上

 
 
 
自然に集中することができるようになる

自然に集中することができるようになるここで知りたいのは、どんな智慧が現れるのか、ということです。これからそれを、修行者たちが体験するさまざまな現象の流れに基づいて説明します。 初心者の修行は苦労しながら混乱したままで続きます。足を上げる、運ぶ、下ろす、などを実況すると、何のためにこれをやっているのか、という疑問も生じます。もっと面白いものがないのかと、心が他の対象に走り回ったりもします。しかし負け

 
 
 

コメント


bottom of page