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主観を離れて客観的に身体を観る

  • sapporobukkyoujuku
  • 6月13日
  • 読了時間: 1分

主観を離れて客観的に身体を観る 6 ‘‘Puna caparaṃ, bhikkhave, bhikkhu imameva kāyaṃ uddhaṃ pādatalā, adho kesamatthakā, tacapariyantaṃ pūraṃ nānappakārassa asucino paccavekkhati – 6 つぎにまた、比丘たちよ、比丘は、この身を、足の裏より上、頭髪より下の、皮を周辺とする、種々の不浄に満ちたものとして、観察します。 これからお釈迦様が語られた言葉の意味を調べましょう。Imameva kāyaṃ この身体について、uddhaṃ pādatalā 足の裏から上、adho kesamatthakā 髪の毛より下。tacapariyantaṃ 皮膚で囲まれたこの身体。お釈迦様が身体を一つの物体として見ているのです。この物体の範囲を具体的に、誰にでも分かりやすく説かれているのです。身体は単なる「もの」であって、決して尊いもの、美しいもの、価値あるもの、ありがたいもの、かけがえのないもの、などの感情的・主観的言葉は使わないのです。遺体を解剖して調べる研究者と似たようなアプローチです。遺体を解剖する場合は、かわいい人、美しい人、私の知人、有名人、などの感情的なアプローチはしないのです。単なる研究対象なのです。遺体を解剖して客観的に調べるのです。ヴィパッサナー瞑想を実践する場合も、このようなアプローチで身体を観察するのです。研究対象になるのは、自分自身の肉体なのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016】

 
 
 

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