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二十四時間体制で全ての動きが観える

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年6月9日
  • 読了時間: 1分

二十四時間体制で全ての動きが観える 正知の実践で集中力が生まれると説明しました。Samādhi 瞑想からも集中力が生まれます。Samādhi 瞑想は集中力を上げることを目的にしています。しかし、sati の瞑想から起こる集中力と、samādhi 瞑想の集中力は質的に差があるのです。人間は色んな行為をするために脳の色んな部分を使っています。例えばベッドに横になって寝ようとするときの脳のはたらきは、普通に目覚めているときとは違います。ベッドに横になってまだ寝つかないときの脳のはたらきと、坐っているときの脳のはたらきもそれぞれ違う。しゃべっているときの心のはたらきと、何もしゃべらないでいるときの心のはたらきもかなり違います。そのときそのとき確認しようとすると、これはなかなか難しい。どうなるかというと私達がごく一般的に使っている脳細胞を一つ残らず使わなければいけないはめになってしまう。これをギューッと集中して忙しくやりますから、楽しみもあります。苦しみも悲しみも消えます。同時に、全ての能力はいつでも起動状態になって幅広くなるのです。Samādhi 瞑想とvipassanā 瞑想の違うところはそこらへんの脳の使い方にあるのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016.p84】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
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「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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