top of page
検索

五番目の道非道智見清浄のステージ

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月18日
  • 読了時間: 1分

五番目の道非道智見清浄のステージ

 この喩えをヴィパッサナー実践者の精神の変化に当てはめてみましょう。修行者は苦労しながら丹念に実践します。心の弱みがなくなったり、集中力が成長したり、気づきの実践が上手にできるようになったりします。智慧も段階的に上がっていきます。心の中に、今たくさんの財産が溜まっているような状態です。それは花屋さんで選んだ花が家のリビングに置かれているようなことです。このように、修行者にしても、能力が上がっているのになかなか落ち着かない状態があるのです。花を買った人がそれを活けましょうと決めるように、修行者もこれから精神状態を整理整頓してしっかり修行を続けましょうと決めるのです。

 この決定に達するところまでが、五番目の道非道智見清浄のステージです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p137】

 
 
 

最新記事

すべて表示
六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa  一切の現象は怖畏のみをつかさどるのが本性であるならば、現象に対する未練を捨ててしまうのが理性的です。おいしそうに見える食べ物がある。食べたいという気持ちもある。その食べ物を徹底的に調べてみたところ、少量服用しただけでも死に至る猛毒で汚染されていると発見する。その発見と同時に、その食べ物に対して今まで持っていた未練は跡形もなく消えるのです。

 
 
 
一切のものごとの短所を発見する

一切のものごとの短所を発見する  ありのままの現象を観察する修行者には、いとも簡単にすべての現象の短所が観えます。短所という言葉を使ったからといって、滅する現象に長所があるわけではありません。ただ怖畏だけ感じても、智慧は足りません。なぜ怖畏なのかと、明確に知った方がよいのです。言葉にすべき理由などはありませんが、現象はなぜ怖畏なのか、明確に発見します。「こういうわけで現象は怖畏です」というような発

 
 
 
悲観主義者ではなく現実主義者

悲観主義者ではなく現実主義者  海の喩えに戻れば、なんとか理解できると思います。ぼろぼろになった浮き輪に頼って大海のまん中をさまよっている人が、自分の置かれた状況を観察すると、常識を超えた恐怖を感じるでしょう。だからといって、やることはないのです。ただ、自分の状況を観察します。浮き輪に目をやる。見るからにぼろぼろです。波に当たるたびに、古くなったゴムが壊れていきます。決して強くなったり、新しくなっ

 
 
 

コメント


bottom of page