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五番目の道非道智見清浄のステージ

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月18日
  • 読了時間: 1分

五番目の道非道智見清浄のステージ

 この喩えをヴィパッサナー実践者の精神の変化に当てはめてみましょう。修行者は苦労しながら丹念に実践します。心の弱みがなくなったり、集中力が成長したり、気づきの実践が上手にできるようになったりします。智慧も段階的に上がっていきます。心の中に、今たくさんの財産が溜まっているような状態です。それは花屋さんで選んだ花が家のリビングに置かれているようなことです。このように、修行者にしても、能力が上がっているのになかなか落ち着かない状態があるのです。花を買った人がそれを活けましょうと決めるように、修行者もこれから精神状態を整理整頓してしっかり修行を続けましょうと決めるのです。

 この決定に達するところまでが、五番目の道非道智見清浄のステージです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p137】

 
 
 

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