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人の生き方を正そうとする自我はない

  • sapporobukkyoujuku
  • 1月17日
  • 読了時間: 1分

人の生き方を正そうとする自我はない 人は、自分の感情に他人にも乗ってほしがるものです。共感してほしがります。しかし、見清浄に達している人には、周りの感情に共感する気持ちが起きません。道徳的な生き方には共感しますが、感情的な生き方に共感する気持ちはなく、冷静にいます。人の生き方を正してやらなくてはいけない、というような自我もありません。このような性格変化は、修行する本人だけではなく、周りにいる親しい人々にもよく分かります。しかし性格が変わったことだけでは、充分な判断材料になりません。ヴィパッサナー実践で智慧の開発が起きなくてはいけません。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p95】

 
 
 

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