top of page
検索

人は音楽をきちんと観察していない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年8月11日
  • 読了時間: 2分

人は音楽をきちんと観察していない この苦・楽・非苦非楽というのは、いいかげんな感覚で、しっかりしていないのです。音が入ってきて楽が生まれたなら、次に音が入ってもまた楽が生まれるというなら、数学的で正しいのです。「ある特定の音が入った。ある楽しい感覚が生まれた」というならば、同じ音が入ると、また同じ量の楽しみの感覚が生まれるはずです。それを続けていくと、ずうっと楽しみが生まれ続けるはずなのです。しかし、感覚の世界はそうではなくて、随分いいかげんです。同じ音質の音が耳に触れるのに、時と場合によって、楽しみが生まれたり、苦しみが生まれたり、非苦非楽が生まれたりするのです。そういうことを、キメ細かく観察しないと人には智慧が生まれてきません。 人は、音楽はいかに美しいか、ということをきちんと観察していないのです。頭ごなしに「音楽を否定する人はみんな人格が悪い」と思っているでしょう。シェイクスピアのドラマでも、悪役の人格を表現するときには必ず音楽を嫌っているという設定を入れるのです。『ベニスの商人』の悪役シャイロックも音楽が嫌いです。「この連中の音楽が流れてくるから家のなかまでうるさくてしょうがない。窓を閉めなさい」と娘に言う台詞があります。シャイロックは音楽が嫌い。なぜかというと悪役だからです。そこで良い役をやっている人は遊び好きで酒を飲んで音楽を奏でてという設定になっています。本当は逆なのです。むしろ音楽に凝っているということは、頭が悪い証拠なのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p140】

 
 
 

最新記事

すべて表示
自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる

自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる  それから、今現在の心を観察します。何を発見して心が涅槃に入ってしまったのか、観察します。すると、自我は存在しない、成り立たない、因縁によって一時的に起こる現象に対しての勘違いに過ぎない、という発見の次に、涅槃を経験したのだと分かるのです。要するに、「有身見」が消えたのです。修行者は、仏道が正しい道であると経験しています。ですから「疑」も

 
 
 
涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する

涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する  テキストでは、magga 道、phala 果、nibbāna 涅槃、根絶した煩悩、残りの煩悩を観察するのだと説明しています。この順番で観察する必要がある、というわけではありません。修行者は自分が気になる順番で観察すると思います。悟りの経験は並外れた大胆な経験です。そのときは、心さえも存在しなかったのです。修行者は、認識の流れが戻ったら、まずそれを観

 
 
 
強烈な集中力でほんの瞬間前に何が起きたのか観察する

強烈な集中力でほんの瞬間前に何が起きたのか観察する  果心が起きてから、心は有分心になります。それから普通の認識過程に戻ります。普通の認識過程といっても、五根から情報を得て混乱している心のレベルではありません。強烈な集中力で、観察能力がついている心です。その能力を活かして、観察します。ほんの瞬間前に何が起きたのか、観察するのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サ

 
 
 

コメント


bottom of page