top of page
検索

人格者に戒律の必要なし

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年11月17日
  • 読了時間: 2分

人格者に戒律の必要なし お釈迦様が項目戒律を定めたのは、悟りを開いて二十年経ってからです。そのとき、お釈迦様は五十五歳でした。そこまでは戒律項目が一つもないまま、仏教が世に広まっていきました。それでもたくさんの人々が、解脱に達しました。出家解脱者も、悟りに達した在家の方々もたくさんいました。 この現象も理解しておいた方がよいです。最初にお釈迦様に出会ったのは、皆、人格的に立派な方々でした。ブッダの教えはそれほど知られていませんでしたし、その内容も一般常識を超えたものでした。ですから、興味のある人々が、わざわざお釈迦様を訪ねて教えてもらったのです。最初の弟子たちは、仏弟子になる前から出家者でした。その方々が入っていた宗教組織の行儀作法なども、すでに身についていました。ですから、「行儀よくしなさい。殺生したり嘘をついたりしてはいけない。邪な行為をやめなさい」などと言う必要はありませんでした。また、当時も生活目当てに出家生活を始めた人々は当然いましたが、そういう人々は精神を清らかにすることに興味がなかったので、釈尊を訪ねることはありませんでした。 この状況から何が読み取れるでしょうか。初めから規則正しく生きる人であるならば、社会の秩序を守っている人であるならば、他の生命に迷惑をかけずに生きている人であるならば、心にある汚れを問題にしているならば、解脱に達する過程の初歩である戒律段階は合格している、ということです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p66】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page