人格者に戒律の必要なし
- sapporobukkyoujuku
- 11月17日
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人格者に戒律の必要なし お釈迦様が項目戒律を定めたのは、悟りを開いて二十年経ってからです。そのとき、お釈迦様は五十五歳でした。そこまでは戒律項目が一つもないまま、仏教が世に広まっていきました。それでもたくさんの人々が、解脱に達しました。出家解脱者も、悟りに達した在家の方々もたくさんいました。 この現象も理解しておいた方がよいです。最初にお釈迦様に出会ったのは、皆、人格的に立派な方々でした。ブッダの教えはそれほど知られていませんでしたし、その内容も一般常識を超えたものでした。ですから、興味のある人々が、わざわざお釈迦様を訪ねて教えてもらったのです。最初の弟子たちは、仏弟子になる前から出家者でした。その方々が入っていた宗教組織の行儀作法なども、すでに身についていました。ですから、「行儀よくしなさい。殺生したり嘘をついたりしてはいけない。邪な行為をやめなさい」などと言う必要はありませんでした。また、当時も生活目当てに出家生活を始めた人々は当然いましたが、そういう人々は精神を清らかにすることに興味がなかったので、釈尊を訪ねることはありませんでした。 この状況から何が読み取れるでしょうか。初めから規則正しく生きる人であるならば、社会の秩序を守っている人であるならば、他の生命に迷惑をかけずに生きている人であるならば、心にある汚れを問題にしているならば、解脱に達する過程の初歩である戒律段階は合格している、ということです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p66】
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