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人生の中で親との関わりは取るに足らないほど短い

  • sapporobukkyoujuku
  • 2月3日
  • 読了時間: 1分

人生の中で親との関わりは取るに足らないほど短い


 ある四十五歳くらいの人が、私にこう言いました。「小さいとき、父親があまりにも厳しかったのです。それで私は、何の自信も持てない人間になってしまいました。今の仕事もうまくいかなくてトラブルばかりです。その原因は父親の厳しい態度だと思います」。本人は正しい考えだと思っていたのですが、これは完全な勘違いです。父親から離れて一人暮らしをした、ほぼ三十年の年月の変化を無視しています。厳しい父親も、二十四時間厳しいわけではありません。赤ちゃんのときは、まったく厳しくありません。厳しく対応するのは、母親の話を無視してわがままで、いたずらばかりする時期だけです。もしかすると十二歳から十八歳まででしょう。それも毎日ではないのです。何か悪さをしたときだけです。そのように考えると、その人の人生の中で父親との関わりは、取るに足らないほど短いものです。しかし因果の線形的な関係を誤って理解して、父親に対して恨みをいだいています。自分が独立してどのように生きてきたか、というのは計算に入っていないのです。


【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p102】

 
 
 

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