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人生は生涯、不安です。不満です

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年9月14日
  • 読了時間: 1分

人生は生涯、不安です。不満です Dukkha の意味は、苦だけではありません。「生きることは極端に苦しいものであるという考えはよくない」と、お釈迦様は説かれます。極端に苦しいものであるならば、誰一人として命に執着しないだろうと説きます。同時に、「生きることは極端に楽しいものだ」というのも正しくないのです。生きることが極端に楽しいものであるならば、誰も悩んだり、落ち込んだり、諦めたり、悲しんだりしないだろうと説くのです。ですから、dukkha はもっと深い意味を持っている言葉です。 楽しいことがあっても、それは足らない、満足できないのです。もっと楽しみを得たいと、意欲が起こるのです。苦しいのは、初めから嫌です。苦しみを感じると、早く楽しみを感じたいという意欲が起こるのです。このようなわけで、人生は生涯、不安です。不満です。これが「苦」ということです。 それから、dukkha といえば、「無価値」という意味もあります。人生は執着に値しない、価値が成り立たない、無価値なものです。自分の命、一切の生命の命に対して、生きることが苦であるとみなします。他の現象については、「価値はない」という意味で観察します。苦相とは、このように発見するものです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p27】

 
 
 

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