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今日は何曜日ですか

sapporobukkyoujuku
9月24日
読了時間: 1分

もし人が、今日は何曜日ですか、と明確に知っているぐらい、「生きるとは何か?」という問いに答えを見つけた場合は、一切の疑がたちまち消えてしまうので当然のことです。世のなかでたくさん宗教と哲学が現れたのは、人間に無智があるからです。無智が母親なのです。これからもたくさん、宗教・哲学が現れることでしょう。しかし、いまだに「どんな宗教が正しい宗教でしょうか?」という問いに、答えがないのです。哲学の場合も同じです。議論しても、結論には達しないのです。結果は、時間が無駄に減ってしまう、悩んだり困ったりする、疑が減るどころか強化される、自分の意見にしがみついて他人をけなしたり攻撃したりする、人生は無智のままで終わるのです。お釈迦様は「生きるとは何か」と、客観的にデータを集める方法を選んだのです。その方法は大念処経で説かれています。ですから、四念処を実践すると正理(ñāya)に達するのです。

アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016 p38

 
 
 

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