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今日は品物が入りました

  • sapporobukkyoujuku
  • 6月27日
  • 読了時間: 1分

今日は品物が入りました 昔から伝わるいくつかのストーリーがあります。お金持ちは死体を火葬しますけど、お金がない人はそのまま、土の上に置いておく場合があるのです。それで墓守がお坊さん達に「今日は品物が入りましたよ」と連絡する。そのお坊さんが死体を二、三週間観て瞑想したいと言ったら、「では瞑想を頑張ってください」とそのまま置いておく。 インドの火葬というのはすごく失礼なやり方で、ほんのちょっとしか薪を使わないのです。遺族は墓守の人にまかせて帰ってしまいます。墓守さんも商売だから、大量に薪を使って燃やしたら商売にならない。だからほんの少々薪を持って来て、遺体を切って焼く。身体から水分が出て行くまで遺体を放置しておくのです。油分だけ残った状態になったら、さらに死体を切って火をつける。そうするとよく燃えます、あまり薪はいらないので経済的です。ですから内臓を観たいお坊さんにとっては、そうやって放置してある死体を使って簡単に観られるのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p98】

 
 
 

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