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例えで説明

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年6月19日
  • 読了時間: 2分

両方に口のある袋 ‘‘Seyyathāpi, bhikkhave, ubhatomukhā putoḷi pūrā nānāvihitassa dhaññassa, seyyathidaṃ –sālīnaṃ vīhīnaṃ muggānaṃ māsānaṃ tilānaṃ taṇḍulānaṃ. Tamenaṃ cakkhumā puriso muñcitvā paccavekkheyya –‘ime sālī ime vīhī ime muggā ime māsā ime tilā ime taṇḍulā’ti. 比丘たちよ、それは、たとえば、両方に口のある袋が、種々の穀物に、すなわち、サーリ籾米、ヴィーヒ籾米・緑豆・そら豆・胡麻・米に満ちており、それを眼のある人が開けて、〈これらはサーリ籾米である、これらはヴィーヒ籾米である、これらは緑豆である、これらはそら豆である、これらは胡麻である、これらは米である〉と観察するようなものです 例えで説明 身体を三十一の不浄の分類にわけて観察する方法を、例えで説明します。袋のなかに様々な穀物が入っているのです。しかし、この袋は特別なもので、上と下に口が二つあります。それで眼のある人が袋を開けて、どんな穀物が入っているのかと調べてみるのです。Sālīnaṃ のsāli(サーリ)というのはある米の一種です。それの籾は細長くて、赤くて、ものすごく高級な米です。次にvīhīnaṃ のvīhi(ヴィーヒ)というのは一般的な籾のことです。次にmuggānaṃ のmugga は緑豆。それからmāsānaṃ のmāsa はそら豆。Tilānaṃ のtila は胡麻。それからtaṇḍulānaṃ のtaṇḍula は、籾殻を取った米のことです。袋のなかにそれらが満ちており、それを眼ある人が開けて観たところで、これらはサーリ籾である、これらはヴィーヒ籾である、緑豆である、そら豆である、と簡単に分かるでしょう。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p92】

 
 
 

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