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価値観は真理の敵

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年4月30日
  • 読了時間: 1分

 Sati の実践に入らない、関係がない対象は一つもないのです。気づきの実践で、全ての現象の本来の性質を発見できるのです。智慧が現れるのです。この観察方法は、普通の人々の観察方法とは違います。普通の世界の観察には、価値観は欠かせない条件です。価値がなければ観察しないのです。価値はプラスでもマイナスでもよろしいのです。日本海に天然ガスがあるかと観察する場合は、ブラスの価値です。価値があるからこそ調べるのです。放射線が身体に与える影響は、マイナス価値ですですから、放射線はどの程度身体に悪影響を与えるのかと観察するのです。放射線が身体に何の影響も与えないならば、その観察はしないのす。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016、p51.】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

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「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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