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俗世間的なレベルの智慧

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年9月21日
  • 読了時間: 1分

俗世間的なレベルの智慧 俗世間のレベルで説明するならば、智慧とは理性があることです。主観的に、感情的に、ものごとを判断しないで、客観的に判断することです。これも難しいと思われる方々は、仏法に頼ることになります。仏法を学ぶのです。お釈迦様がさまざまな方法で、さまざまな喩え話を駆使して、誰にでも理解できるように明確に語られています。ある一つの経典について「難しくて理解できないな」と思われても大丈夫です。自分に理解できる、納得できる教えが経典の中にかならずあります。すべての人類に向かって語られた教えなので、自分の性格に適した教えがあるのです。その教えを見つけて、理解すればよいです。また、ものごとを見るとき、判断するとき、生きるとき、自分に理解できたブッダの教えを土台にするのです。もともと頭も悪くて理性もないと悩んでいる方々は、この手段を取ります。自分の見解を、自分が理解した仏法の見解に変えてみることです。それで俗世間的なレベルの智慧になります。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p33】

 
 
 

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