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出家は仕事をしてはいけない

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年11月21日
  • 読了時間: 1分

出家は仕事をしてはいけない出家の仕事は何でしょうか? 出家は仕事をしてはいけないのです。仕事をするとは、命を守るために何かの行為をすることです。生きる目的でおこなう行為です。解脱を目的に出家したならば、生きる目的を目指せないのです。この二つの目的は正反対です。しかし、解脱に達するまで生きていなくてはいけません。死ぬことは解脱ではないのです。死ぬ前に、煩悩を根絶して解脱に達しなくてはいけないのです。解脱を目的として出家した人は、その目的に達するまで生きている必要が生じます。それは、生きていきたいという生存欲ではありません。ただ否応なしに、生きていなくてはいけないことになっただけです。 とはいっても、命を繋ぐためには着るものと食べ物が必要です。住むところと病気にかかった場合の薬も必要です。在家はそれらを、仕事を通じていただきます。それに対して仕事をしない出家は、在家のお布施に頼るはめになるのです。しかし、お布施に頼ることは仕事をするより簡単であると誤解してはいけません。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p68】

 
 
 

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