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出家儀式は次のように行う

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年6月23日
  • 読了時間: 1分

出家儀式は次のように行う 出家儀式の最初に、頭を剃らなければいけないのです。出家希望者が、「出家をお願いします」と頼むと、師匠のお坊さんが髪の毛を切る。一部を切って「これを持ちなさい」と手に持たせてあげる。これから捨てる髪の毛を手に持ってジーッと観なければいけない。ぜんぶ剃り終えるまで、その人は髪の毛を持っている。これは、「身体とは何ものかと観てみなさい」ということなのです。剃り終って、身体を洗うときに、はじめて髪の毛を捨てるのです。 出家儀式では、kesā 髪の毛、lomā 身体の毛(体毛)、nakhā 爪、dantā 歯、taco 皮膚という五つを観察しなさいと教えます。その五つを唱えさせて、出家させるのです。Kesā lomā nakhā dantā taco, taco dantā nakhā lomā kesā と順番と逆順で言います。それを言わせてから衣をあげるのです。それで正式に仏弟子の世界に入ったことになります。 単純なようでいて、とてつもなく深い。どんな宗教の出家儀式よりも深い意味があるのです。それは一切の世俗的な概念を捨てるということです。エピソードによれば、出家するその瞬間に、髪の毛を剃り始めたらもう覚って阿羅漢になった人もいるのだそうです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p95】

 
 
 

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