top of page
検索

出家儀式は次のように行う

  • sapporobukkyoujuku
  • 6月23日
  • 読了時間: 1分

出家儀式は次のように行う 出家儀式の最初に、頭を剃らなければいけないのです。出家希望者が、「出家をお願いします」と頼むと、師匠のお坊さんが髪の毛を切る。一部を切って「これを持ちなさい」と手に持たせてあげる。これから捨てる髪の毛を手に持ってジーッと観なければいけない。ぜんぶ剃り終えるまで、その人は髪の毛を持っている。これは、「身体とは何ものかと観てみなさい」ということなのです。剃り終って、身体を洗うときに、はじめて髪の毛を捨てるのです。 出家儀式では、kesā 髪の毛、lomā 身体の毛(体毛)、nakhā 爪、dantā 歯、taco 皮膚という五つを観察しなさいと教えます。その五つを唱えさせて、出家させるのです。Kesā lomā nakhā dantā taco, taco dantā nakhā lomā kesā と順番と逆順で言います。それを言わせてから衣をあげるのです。それで正式に仏弟子の世界に入ったことになります。 単純なようでいて、とてつもなく深い。どんな宗教の出家儀式よりも深い意味があるのです。それは一切の世俗的な概念を捨てるということです。エピソードによれば、出家するその瞬間に、髪の毛を剃り始めたらもう覚って阿羅漢になった人もいるのだそうです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p95】

 
 
 

最新記事

すべて表示
nāma とrūpa を区別して発見する

nāma とrūpa を区別して発見する それから客観的に確認作業を実行してみるようになります。そうなると、手を上げます、下げます、と実況するのであって、それは「私の手」という気持ちから離れています。ただ「手」という客観的な物体として観るのです。座る瞑想もこの調子でおこないます。集中力があり、客観的に確認しますから、より詳しく現象を観ることができるようになります。 手・足・お腹などは純粋な物体です

 
 
 
「私」という気持ちを措いて、客観的に身体を観察する

「私」という気持ちを措いて、客観的に身体を観察する 集中力が上がって自然に実況中継が流れるところまでくると、修行者が確認する現象も変わっていきます。本当は「現象が変わる」という言葉は、正しくはありません。今まで気づくことができなかった現象にまで気づけるように成長した、ということです。どのように現象が変わるのか、次で説明していきます。 初心者の修行には、「私」という気持ちがこびりついています。手を上

 
 
 
自然に集中することができるようになる

自然に集中することができるようになるここで知りたいのは、どんな智慧が現れるのか、ということです。これからそれを、修行者たちが体験するさまざまな現象の流れに基づいて説明します。 初心者の修行は苦労しながら混乱したままで続きます。足を上げる、運ぶ、下ろす、などを実況すると、何のためにこれをやっているのか、という疑問も生じます。もっと面白いものがないのかと、心が他の対象に走り回ったりもします。しかし負け

 
 
 

コメント


bottom of page