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出家戒律② indriya-saṃvara-sīla「六根の制御」

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年11月19日
  • 読了時間: 1分

 出家戒律② indriya-saṃvara-sīla「六根の制御」 二番目はindriya-saṃvara-sīla といいます。眼耳鼻舌身意という六根を制御するのです。見たい放題見たり、聞きたい放題聞くのではなくて、見ても、心の中で欲と怒りが生まれないように気をつける。音を聞いても、心の中で欲と怒りが生まれないように、混乱しないようにガードする。ご飯を食べても、そのおいしさで欲か怒りが生まれないようにガードする。心の安定を守る。そういう戒律です。 このセクションは、瞑想実践に励む在家の方々もいくらか注意した方がよいところです。修行中、眼から、耳から、鼻から、口から入る情報に心が揺らいでしまったら、誘惑されてしまったら、修行を中断するはめになります。眼耳鼻舌身に入る色声香味触という情報によって、心にいとも簡単に欲か怒りが現れてしまうのです。感情が牙を剥いたことになります。在家の方々も解脱を目指して修行する場合は、修行中、この戒律を守るように精進した方がよいです。気づきの実践をしているならば、自然にこの戒律を守っていることになります。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p67】

 
 
 

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