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出家戒律④ paccaya-sannissita-sīla「資具に依止するという戒」

  • sapporobukkyoujuku
  • 11月25日
  • 読了時間: 1分

出家戒律④ paccaya-sannissita-sīla「資具に依止するという戒」 四番目はpaccaya-sannissita-sīla です。「資具に依止するという戒」と訳されていますが、「資具に関する戒」と理解しておきましょう。資具とは衣・食・住・薬のことです。在家・出家を問わず、命を繋ぐために欠かせない四つです。俗世間では資具を得る行為が暴走しています。食文化は把握できないほど広いです。服やアクセサリーについても同じことです。住居も派手な建築文化になるまで暴走しています。また、医療の発展にしても、専門家にも追いつけないほど暴走しています。その理由は、「欲は満たせない」ことです。皆、欲を満たそうとしているのです。しかしそれは、喉が渇いたら塩水を飲むような行為です。飲めば飲むほど渇きが増すのです。ですから限りのない自然破壊、生命破壊の生き方になってしまいます。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p70】

 
 
 

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