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制御された生き方が感情の邪魔をする

  • sapporobukkyoujuku
  • 11月11日
  • 読了時間: 1分

制御された生き方が感情の邪魔をする 問題は、無知の感情が湧き上がったらどうするのか、ということです。感情は無知なので、当然、それに気づくことはできません。そこでまず、欲と怒りの感情に従わないように生きてみます。すると、無知にも気づけるようになります。頭が混乱した状態に陥ったとき、判断能力を失ったとき、なんにも集中できないとき、私たちは無知に支配されています。そのときは、何もしゃべらず、何もおこなわず、冷静な気持ちに戻るまで黙っていればよいのです。品格を問われる過ちは犯さずに済みます。 このように自分の心の状態(精神状態)をチェックしながら生き方を制御するのが、戒律を守って生きることなのです。戒律は、貪瞋痴がはたらかないように邪魔する生き方です。これで解脱に達する道がスタートします。自分の制御された生き方が感情の邪魔をすると、感情が弱くなっていきます。これが仏教心理学的な戒律の説明であり、実践方法です。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p62】

 
 
 

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