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刷り込まれた概念が現実のように現れる

  • sapporobukkyoujuku
  • 1月21日
  • 読了時間: 1分

刷り込まれた概念が現実のように現れる

 宗教は信仰を大事にする教えです。実証することが不可能な、魂、神、仏、如来、真我などの概念をまずまじめに信仰します。それから、その信仰対象を実証する目的で瞑想するのです。瞑想がうまくいけば、修行者の頭に刷り込まれた概念が現実のように現れてしまいます。修行者にとっては実体験に感じますが、それが幻覚か本物かを区別する方法はありません。 瞑想に関するこの弱みを、お釈迦様は充分に知っておられました。お釈迦様は人の瞑想体験を否定なさいません。しかし、その体験に基づいてつくる思考を否定されます。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p96】

 
 
 

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