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勝手にしゃべっています

sapporobukkyoujuku
9月20日
読了時間: 1分

そうやってみな、「正理(ñāya)」だと思うことを各々で勝手にしゃべっています。当然、みな正しいとは思えません。しかし誰が正しい理論を語っているのかも分からないのです。存在に対する真理を神話的なストーリーで解説できるか、ということも問題です。それでも、人は真理を知らなくてはいけないのです。それならば、自分で探してみるより他に方法はないのです。『Mahāsatipaṭṭhānasutta 大念処経』の実践方法を行なってみると、生命の真理をおのずから発見することができるのです。生命に関する正理(ñāya)を発見する方法が、『大念処経』の実践なのです。

アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016 p35

 
 
 

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「受・心・法の随観」のあらまし  Vedanāsu vedanānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā, vineyya loke abhijjhādomanassaṃ, citte cittānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā vineyya loke abhijjhādomanassaṃ, dhammesu d

 
 
 
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効果 vineyya loke abhijjhādomanassaṃ  Vineyya loke abhijjhādomanassaṃ の意味は「世界における貪欲と憂いを除いて住みます」です。このフレーズも解説する必要があります。  身体の動きに気づいて観察すると、その人に他のことを考える余裕はないのです。過去や将来のことを考えて心配したり、妄想にふけって空想の世界に戯れたりする余裕がないのです。

 
 
 
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