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厭逆観察の部 Paṭikūlamanasikārapabbaṃ

  • sapporobukkyoujuku
  • 6月12日
  • 読了時間: 2分

厭逆観察の部 Paṭikūlamanasikārapabbaṃ ここまでお釈迦様が三種類の観察の仕方を語られました。この段落では、四番目の観察の仕方を紹介しています。  俗世間では、この肉体は美しいものである、という先入観で身体にアプローチします。身体を飾ったり、美しく見せたり、肉体をこの上のない価値のある宝物として扱ったり、肉体の維持管理のために大量の財産を費やしたり、そのために精神的にも燃え尽きたりするのです。肉体には徹底的に執着しているのです。しがみついているのです。それによって、憂い、悲しみ、悩み、失望感などで悩み苦しむのです。心が汚れてしまうのです。やすらぎを失うのです。肉体はこの上ない価値あるものだという前提をもって見ることは、無明です。人類が持っているこの根拠のない価値観という誤解を破るために、四番目の観察方法は効果抜群です。その方法とは、身体の臓器を一つ一つ取り上げて、客観的に見ることです。そのように見ると、清らかで美しくこの上ない価値あるものというより、不浄の集まり以外の何でもないと発見できるのです。この発見によって、身体に対する愛着が消えるはずです。愛着が消えると同時に、身体に執着することによって生まれてくる膨大な悩み苦しみもなくなるのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016.p87】

 
 
 

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