top of page
検索

呼吸観察の仕方

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年5月15日
  • 読了時間: 2分

呼吸観察の仕方 Seyyathāpi, bhikkhave, dakkho bhamakāro vā bhamakārantevāsī vā dīghaṃ vā añchanto ‘dīghaṃ añchāmī’ti pajānāti, rassaṃ vā añchanto ‘rassaṃ añchāmī’ti pajānāti; evameva kho, bhikkhave, bhikkhu dīghaṃ vā assasanto ‘dīghaṃ assasāmī’ti pajānāti, dīghaṃ vā passasanto ‘dīghaṃ passasāmī’ti pajānāti, rassaṃ vā assasanto ‘rassaṃ assasāmī’ti pajānāti, rassaṃ vā passasanto ‘rassaṃ passasāmī’ti pajānāti; ‘sabbakāyapaṭisaṃvedī assasissāmī’ti sikkhati, ‘sabbakāyapaṭisaṃvedī passasissāmī’ti sikkhati; ‘passambhayaṃ kāyasaṅkhāraṃ assasissāmī’ti sikkhati, ‘passambhayaṃ kāyasaṅkhāraṃ passasissāmī’ti sikkhati.『比丘たちよ、たとえば、熟練した轆轤工か轆轤工の弟子が長く引っ張るときは〈私は長く引っ張る〉と知ります。あるいは、短く引っ張るときは〈私は短く引っ張る〉と知ります。比丘たちよ、ちょうどそのように、比丘は、長く入息するときは〈私は長く入息する〉と知ります。あるいは、長く出息するときは〈私は長く出息する〉と知ります。また、短く入息するときは〈私は短く入息する〉と知ります。あるいは、短く出息するときは〈私は短く出息する〉と知ります。〈私は全身を感知して入息しよう〉と学び、〈私は全身を感知して出息しよう〉と学びます。〈私は身行を静めつつ入息しよう〉と学び、〈私は身行を静めつつ出息しよう〉と学びます。』  身体の動きを静めるところまでいかに呼吸を観察するべきなのかと、その仕方をお釈迦様が例えで説明します。大工さんは木材を轆轤に付けて、長く引いたり短く引いたりするのです。その動きは全て、計算して精確に行なうものです。作業の目的は、木材をなめらかにして、必要な形に加工することです。 修行者も職人さんと同じ気持ちで、呼吸の感覚を見張るのです。呼吸は長くなったり短くなったりしながら、精確に起きていきます。それで徐々に、身体の動きが静まっていくのです。 職人さんは結果を期待するよりは工程に集中します。工程が正しければ、望む結果は自ずから現れるのです。修行者も、呼吸という工程にのみ気づいていれば充分です。それで身行が静まっていくのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016、p.65】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page